2012/03/17

我、この地をアイス

私は、今の会社に入社する22歳まで、熊谷市の隣にある、南河原村っていうところに住んでいました。かつては、日本のスリッパの70%を生産していた、埼玉が誇るスリッパの名産地でしたが、中国製品に押されてほとんど潰れてしまいました。その後、新たな産業が芽生えることもなく、行田市というところに合併され、今はもうありません。

そういうわけで、青春時代の大半は頂点に村長を仰ぐ村民であったわけなんですけども、大学に入って、どこに住んでるのと聞かれたときに細かく説明するのも面倒なんで、天気予報とかで比較的知名度の高い「熊谷」って答えてました。高校も熊谷市内だったし、まあいいかなって。

なので、本来、熊谷に郷土愛はないんですけども、長年熊谷市民を詐称してきて、6年ほど前に本当に熊谷市民になってからは、この地を第2の故郷と決めて生きています。
本当の故郷と第2の故郷の距離が近すぎですけど。

なんでこんなことを書いているかというと、昨日読んだ伊坂幸太郎のエッセイのせいですね。
伊坂さんは、確か、横浜あたりの出身で、大学が仙台でした。大学で一人暮らしを始めてから、その後ずっと仙台で暮らしています。

伊坂さんの小説は、そのほとんどが仙台を舞台に描かれています。
本当に仙台が好きなんですね。

郷土愛ってあるんだろうなと思います。
それは、どんなに田舎で、何にもない土地であっても、自分が生まれ育った風土に愛着を持つ、そんなに特別なじゃない気持ちだと思います。

でも、成長してから移り住んだ土地に愛情を持つって、どういうことなんでしょうか。
私は、都内にいるときは、背中に「from KUMAGAYA」と書いておきたいくらい熊谷を誇りに思っていますが、実際に、熊谷に帰ってくると本当は村出身なので、あんまり愛情がなくなります。

でも、例えば、埼玉県内でスポーツの大会があれば熊谷を応援するし、日本であれば埼玉を応援するし、世界であれば日本を応援する。
まあ、改めて言うほどもない、当たり前の感覚でしょうか。

ただ、自分は必ず何かに属していて、普段は意識しないところで、意外とそれを拠りどころにしているんだなあと、ちょっと思いました。


「おい、クマ公、やるのか、む、足の裏とった」

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