嫁さんに聞いたら、「スーッと倒れたかもしんないからね。音、しなかったんじゃない?」と言われ、カルチャーショックを受けました。彼女の脳は、ニュートンの古典力学的では説明できない、量子力学的思考回路であったために、私には理解できない数々の行動があったのだと証明されました。
普通は、「木が倒れたんだから、人がいようがいまいが、音がしたに決まってる」と考えると思います。でも、この問いには答えがあって、「音はしない」が正解だそうです。
理由は、音は空気の振動が人間の鼓膜に伝わって認識されるもので、人がいなければそれはただの空気の振動にしかならず、認識されなければ音ではないという解釈です。
同様に、認識されなければ存在しないという理由で、人が見ていないときに月は出ていないって考え方もあるようです。これは、私が中学生のときに、NHK「アインシュタイン・ロマン」でやってました。アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言って受け入れなかった(理解できなかった)そうですが。
でも、やっぱり、私は人がいなくても木が倒れたときには音がして、見ていないときも月は出ていると思います。そうじゃなかったら、私の家族への愛は相手が知らずにいたら存在しないことになってしまうし、私の家族の悲しみは私が知らなければ存在しないことになってしまいます。
そんなバカな話はありません。
「春彦は今頃保育園で友達と遊んでいるのかな」とか、「優は今日も公園で犬と話してるんだろうか」とか、そんなことを考えている私を、春彦や優が知らなかったら、春彦や優にとって私の思いは存在しないことになります。
子どもが知らなくってもね、親は子どものことをいつも思っているんだよ。
これは、普遍的な事実なの。
何が哲学だ、バカたれめ。
大好物の苺をカットする兄妹 |
0 件のコメント:
コメントを投稿