2012/01/11

教育とは

私は基本的に大阪の橋下市長を応援しています。

君が代の強制とか、一部「どうなの?」と思うことはありますけど、大筋では彼の行う(行おうとしている)改革には賛成で、バンバンやって欲しいと思います。

今日、ヤフーのニュースを見ていたら、大阪市内の中間・期末テストを統一するって記事がありました。

私の中学時代の記憶として、社会とか1年間で教科書が全部終わんなかったりして、先生によって進度が違うんだなあというのを思い知りました。
学校内のテストは授業でやったところが範囲なので別に問題ないですが、受験はそうはいきません。学校でそこまでやってようがやってまいが、関係なく全部が出題範囲になるわけです。なので、雑談ばっかりしている先生なんかに教わっている生徒は、それだけ受験では不利になるわけです。

でも、定期テストを統一化すれば、出題範囲は定期テストごとに決まるわけで、1年という大きなスパンではなく、もっと短い期間で授業の進捗を管理しなければいけないので、逆に先生もやりやすいんじゃないでしょうか。

以前、嫁さんと話をしていたら、同じ学年の同じ教科のテストでも、先生によって問題が違うってのを聞きました。それを聞いたときは、非効率だなあと思って、嫁さんにそれを指摘しました。
すると、「何言ってるの、そこが教師の腕の見せどころなんじゃない」と言われました。

つまり、授業も漫然とやっているわけじゃなくて、少しでも生徒が勉強に興味を持ってくれるように試行錯誤していて、指導要領の中ではあるけれども、創意工夫を凝らしている。そんな自分の授業の総決算、集大成として定期テストがあるわけで、テストを作るのは大変だけど、それを他人に任せるのは教師としての楽しみを放棄してしまっているというのです。

それを聞いたときに、教員がみんな嫁さんみたいな考えを持っていたら、生徒は幸せだろうなあと思いました。教師という職業に誇りを持っています。実際、そういう先生は多いんだろうなと思います。

ただ、当然、そうじゃない先生もいて、全体として考えれば、定期テストも統一してしまえば一定の品質も確保できるし、市内の生徒間で順位も明確に付くし、そうして競争することで切磋琢磨する土壌が生まれるんじゃないかなと思います。

でも、同時にゴールがはっきりしてしまうことで、教育が画一的になってしまうんでしょうかね。

生徒にとっては、どっちがいいんだろうなあ。

クッキーを作る春彦

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