2013/01/11

【読書】零戦―日本海軍航空小史

零戦―日本海軍航空小史
堀越 二郎 奥宮 正武
朝日ソノラマ
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堀越二郎、「零戦」読みました。

今年の夏に公開されるジブリの新作(宮崎駿の新作)が零戦の主任設計者である堀越二郎を主人公にするということで、予習がてら読んでみました。
主人公本人の著作(共作)です。

基本的な説明をしておくと、零戦とは正式名「零式艦上戦闘機」の略で、皇紀2600年の下2桁(00)に作られたことから「零式」という名前になっています。ちなみに、零戦の前に作ったのは九六式艦上戦闘機でした。

当時、航空機の発達によって戦略戦術の大きな転換点にありました。日露戦争のころまでは、他国との戦争とは戦艦同士が大砲を撃って攻撃し、戦艦を沈めれば「勝ち」でしたが、これが太平洋戦争時には、戦艦が戦略的に重要度が下がっていました。つまり、どんなすごい戦艦を持っていても、戦闘機が30機もいれば沈められてしまうため、戦艦よりも艦上戦闘機を搭載できる航空母艦が台頭し始めていた時期です。

予備校生時代に、世界史の授業でならったのが「ドイツ電撃作戦」というもので、これはどういうものかというと、まずは戦闘機で他国に攻め入り制空権を取り、その後爆撃機で基地を潰し、それから戦車、最後に歩兵。つまり、最初に制空権をとった国の勝ちです。
そのくらい、劇的に航空機の存在感が大きくなっていました。ほんの20年前までは、航空機は偵察くらいにしか使えなかったわけですから、非常に大きな転換、パラダイムシフトが起こりました。

ま、第一次世界大戦でも戦車が初めて使われたわけだし、イラク戦争でも電子制御されたミサイルを多用するような変化があったわけだし、戦争って言うのはいつでも技術革新を起こし、技術がそれまでの戦争の考え方をまったく変えてしまうのかもしれません。

とは言え、ライト兄弟が初めて有人動力飛行をしたのが1903年ですから、わずか40年足らずで航続距離2000キロを遥かに超える飛行機ができてるわけで、科学技術の劇的な進歩と、人類の英知には毎度のことながら感心させられます。ちなみに、「ライト兄弟」の伝記は、私の小学生時代のバイブルでした。何度も読みました。

進歩という観点で言うと、1961年にユーリ・ガガーリンが人類で初めて宇宙飛行を成功させました。ライト兄弟から60年で宇宙ですよ、宇宙。
すごいなあ。

話がずいぶんそれましたが、この本を読んで、インターネットとかでも零戦についていろいろ調べてみました。というか、この本は重厚過ぎて最後のほうはななめ読みで、そこまでマニアックな情報ではなく、もっと全般的な情報が欲しかったんです。

そこで衝撃だったのは、零戦ってのは、世界的にも卓抜した素晴らしい航空機で、他の戦闘機の追随をまったく許さないほどの優れたものだったという私の認識はどうやら間違っていたということでした。

優れた戦闘機だったことは間違いないと思いますが、ぶっちぎりですごかったわけではないようです。そもそも、当時の日本は工業国としては二流国でした。したがって、機体設計は素晴らしかったとしても、その造作や、発動機の質は、決してすぐれたものではありませんでした。

資源もなく、発動機の馬力も小さいため、堀越二郎はとにかく軽い機体を設計しました。零戦の発動機は1000馬力級、一方アメリカのグラマンは2000馬力級です。でも、「零戦と遭遇した場合は絶対に1対1の戦闘はするな」と米空軍では正式に命令されていたほど、日本風に言うと「巴戦」(ドッグファイト)の戦闘力は高かったようです。

軽量であることは、巴戦の戦闘力や、航続距離を劇的に向上させました。ただ、それが逆に悲劇も生みます。戦端が伸び切った当時の日本は、少ない戦力で広大な範囲に対して戦闘を行う必要がありました。その際に、この零戦の航続距離は素晴らしい美点だったわけですが、搭乗員にとっては過酷なものでした。4時間飛んで1時間戦闘し、4時間かけて基地に戻る、それを可能にした戦闘機が零戦でした。

また、少しでも軽くするために、パイロットや燃料タンクを保護するための兵装も省かれていました。まさに一撃必殺、日本刀のような戦闘機が零戦だったのです。

つまり、零戦は様々な制約がある下で、創意工夫を凝らしてなんとか作り上げた戦闘機でした。相対的にある部分で優れた戦闘機だったかもしれませんが、致命的な欠点もありました。

いろんな意見があるとは思いますが、私が調べた感じだと、やはりナチスドイツの「メッサーシュミット」が素晴らしいと思います。ジョジョでシュトロハイム少佐が「ナチスのォォォ、科学はァァ、世界一ィィィィィィ!」って言ってたのは、誇大妄言ではなさそうです。

メッサーシュミットは、零戦とは違って飛行機の名前ではなく、製造会社の名前です。つまり、日本で言えば零戦の製造元である三菱重工みたいな感じです。

メッサーシュミットで有名なのが「Bf109」で、第二次世界大戦でドイツ以外ではやっと標準形になった「単葉、全金属・応力外皮式、モノコック構造、密閉式の風防、引込脚」を1935年に実現していました。スペイン内戦でも活躍しました。そのころ、日本はまだぜんぜん複葉機です。。。

で、一番ビビるのは、第二次世界大戦末期、ジェット戦闘機を作ってしまうんですわ、メッサー(正確にはロケット推進戦闘機)。当たり前ですが、プロペラ機との性能比はもう圧倒的で、最高速が30キロ違うだけで絶対に追いつけないらしいんですが、当時最速の戦闘機よりも150キロ速いっていうもう破天荒な性能です。むちゃくちゃ燃費が悪いとか、離陸時に撃たれちゃうとか、問題点も多かったようですが、すごいことには変わりありません。いや、ドイツ、やっぱすごいよ。

そんな感じで、零戦について理解を深めましたので、はやく映画を見たい感じになっています。


石投げをする春彦。だいたい後ろに飛んでくるので気が抜けません。

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